糸井重里『インターネット的』を読んで
なぜ、この本を読んだのか
超保留宣言―「何したっていい」と言えるための必要最低条件 糸井重里×高木新平【後篇】 自由と「消費のクリエイティブ」を読んだ。
この対談の中で、高木新平さんが『インターネット的』を読んで「消費のクリエイティブ」という言葉に感動した、と語っていたので、僕も読んでみたいと思った。
思ったこと、考えたこと
今から11年前の2001年に発売されている本なのだが、糸井さんの先見性には感服する。
本文から引用します。
お金を持っている企業なり団体なりが、金銭的な利益を生まないことにお金を使うことが、結局、企業のためになるということをぼく は考えています。これからの社会では、企業の「考え方やセンス、モラル、理想」などという個性に、消費者が賛成するというかたちで商業活動が行われる可能 性は、おおいにあり得ると思うのです。
企業に投資して、その企業の発展が自分の利益になるようなお金の運用、という言葉もあった。僕はこういう社会が今後あるべき社会の姿だと思っている。
「企 業」の部分を「地元」に替えてもいい。地元に投資して、地元の発展が自分の利益になるようなお金の運用。つまり、社会というか地元に向けてお金を使い、そ れが結果的に自分の利益、幸せに繋がるという使い方だ。(地元ではなく、自分の暮らしている地域とかでもいい)まぁこの話はいいや。
消費のクリエイティブ
この本では「消費のクリエイティブ」という言葉がキーワードになっている。高木新平さんが感動したという言葉、僕も重要な言葉だと感じた。
売りたい側にも、買う側にも「イメージ」を生み出す力がなくなっているのではないでしょうか。
糸井さんのこの言葉には同意。11年経った今読んでも同意せざるを得ない。
糸井さんは、「消費のクリエイティブ」「使うことの豊かさ」につ いての想像力が衰退してしまっているから、お金だけが無理やりに流通させられて、誰もワクワクしないし楽しそうに見えないと語り、「愛情も欲望も曖昧なま まにバイアグラを使って意味なくポテンシャルを高めるオヤジ」という表現で当時の時代を比喩している。
「なんでも手に入れられるならなにがほしいですか?」というのは、よくある質問だ。そして、その回答として「お金」というのも定番だと思う。
「なぜ?」と聞けば、「生きるためにはお金が必要だから」と答えるかもしれない。「お金がほしい」と言う人には、そのお金でなにがしたいか?という具体的なイメージが出来ているだろうか。
大きな家を買いたい、○○を買いたい、お金があれば働かなくていい、などなど、そんなワクワクしないイメージでストップしている人が多いのではないかと思う。
「消費のクリエイティブ」力をもっと鍛えていかなければ。
古代ローマ人は、彫刻、絵画、装飾品に財を使って、個性を競い合っていたという。財を使う意思が生活を楽しくするところに向けられていたことに、糸井さんは感銘を受けたようだ。
僕も財を使う意思が生活を楽しくするところに向けられている社会ってのは豊かで、楽しそうだなと思う。
東日本大震災を受けて、僕は一人で生きているのではないのだなと思い知らされた。
社会とのつながりというものを改めて感じ、これまでに自分が社会のために、地域のために、国のために、なにかをするという発想が全くなかったことに気付いた。
社会に還元するという発想、社会と自分がつながっているという考え方がこれからのスタンダードになるといいなって思う。
財を使うことの豊かさを体現できるよう、早く自分のやりたいこと、ビジョンを具体的なものにしていきたい。
- 作者: 糸井重里
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2001/07/14
- メディア: 新書
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